術後の事、周りに知って欲しい。「私を助けて下さい」

こんにちは。

今回は、『術後の事、周りに知って欲しい』ことの話になります。

最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

前置き≫

今回の記事は、私自身が実際に行った子宮全摘術及びリンパ節郭清後(子宮広汎全摘術)という手術を受けた時に、周りに知っておいて欲しい事を体験談を基に綴りたいと思います。

術後の体験記などで、術後の様子など特に入院生活中の話などはブログを探す事で見つかる事もありますが、実際にそこにはブログでは綴りづらい内容もあります。

でも、本当は実際のところそこが、一番知りたくて重要だったりします。

知っていれば…と、思ったことは私自身あります。

 

だからこそ、語らないわけにはいかないという無駄な使命感と意気込みを込めて本記事を書かせて頂きました。

実際に、私の大まかな流れは過去の体験記事や通院記録などの記事を読んで頂ければ大体把握できているかとは思いますが…今回は『術後』にスポットを当ててまとめてみました。

手術を受けない方には関係ないと読み飛ばして頂いても結構ですが、実際に”こう言った事があるんだ”と知っているのと知らないのとでは今後の価値観や向き合い方も変わるのでは?と思います。

なので、参考資料の1つにして頂けたら幸いです。

 

本題「術後の話」≫

パートナーへ

あなたの大切なパートナーがこの手術を受けた時にこんな事があるかもしれないと知っていますか?

その時に、あなたと大切なパートナーとの今後の為にも手術前には、是非話し合ってほしいと思います。

手術の内容をご存じですか?

『広汎子宮全摘手術及びリンパ節郭清』

言葉ではたった16文字ですが、そこにはそれ以上の辛さがあります。

治る為には仕方がない?

治った後の私とあなたの人生は?

まず、広汎子宮全摘術では、子宮頸部だけでなく子宮と膣の一部を切除します。

場合によっては、卵巣や卵管も切除する場合があります。

リンパ節郭清では、骨盤内周辺のリンパ節を全て切除します。

その弊害(副作用、後遺症)としては、手術の同意書で記載されている通りです。

ですが、そこには語られていない部分があります。

 

それは、膣の一部を切除し縫合することによる術後の後遺症です。

人によっては後遺症がない方もいる場合もあるようですが…

この様な事を表立って言える人は少ないのが現状ではないのではないでしょうか。

 

何が、言いたいのか。

子宮頸部(入口)の部分と言うのは、女性が感じる神経がある場所だと言う事をご存じでしょうか。

それを、切除することで何が起きるのか?

ご想像できると思います。

 

そして、膣の一部を切除し縫合することで一部の人は術後の後遺症として痛みと出血が伴うことがあります。

(痛みと出血は徐々に回数を重ねる事で減っていくかとは思います)

 

そうした事もあり、レスの関係になってしまうという事も事実として実際に起こっている様です。

(あるサイトにて旦那様から奥様に充てた手紙として公開されている記事を拝見しました)

 

これは、誰かが、どちらかが悪いという事ではなく手術を受けたことによって起きてしまう、仕方がない事ではないのかなと私自身は思っています。

正直、この話を主治医の方がどこまで認識し術前に話してくれるかによる所も大きく変わるかとは思いますが…この解決策(術後の後遺症)を主治医に求めたとしても経験者ではないので難しいのではないかと思います。

(実際に、私も術前にこの話はされませんでしたし、術後改めて相談してみましたが…あまり良い解答は得られませんでした)

 

だからこそ、こう言う場合もあると想定した上で知って頂きたいなと思いました。

そして、これを女性側から打ち明けるのも非常に辛いモノがあると思います。

 

生きる事に精一杯な今、手術をしてただでさえ傷ついた心に、更にこの話を自分の口からすることは酷なのではないかと思います。

ぜひ、パートナーとして考え寄り添って欲しいと切に願います。

 

家族へ

大丈夫。良くなるよ。

中々その言葉は今すぐには私の心には響かない。

けれど、そう思ってくれている気持ちは凄く嬉しいし感謝しています。

 

でもね、

その言葉よりもまずはありのままの私でいさせて欲しい。

ただ、今は否定的な、ネガティブな言葉も、励ましのポジティブな言葉もいらない。

ただ、聴いて欲しい

解決策が欲しいんじゃなくて、ありのままの私の気持ちに寄り添って欲しいだけ

 

少しづつだけど、そうして私の思いを知って寄り添ってくれるだけで私は救われるし

それによって心の余裕が少しだけど…生まれた。

そうした時に、初めて自分でも不思議な位に前を見れるから。

わがままだけど、待ってて欲しい。

いつもそばに居てくれて、ありがとう。

(最後に少なくとも最低でも一か月は養生させて下さい。)

 

私へ

今は、苦しいし辛いよね。

何で私が?

私が何かしたの?

 

きっと、本当の冷静な自分で居られる時が来るのはずっと先かもしれない。

そして、それは来ないのかもしれない。

実際に私がこうして落ち着いて考えられる様になったり、

未来というものを考えて行動する様になったのは術後から6カ月も経った後だったから。

 

それまでは、必死に今の状態と術後の後遺症の事だけしか目に入らず、

時折訪れる恐さが辛かった。

ただ、必死に目の前の目標の為に一歩、また一歩と一日をかみしめる様に過ごしていた。

 

その時に感じて居たのは未来じゃない。

ただ、今を精一杯生きる事への生への執着。渇望だった。

今まで平穏に暮らしていれば経験したことがない”死”を本当に意識して感じていた瞬間だと思う。

 

実際にその本当の辛さはきっと、経験者の私自身でさえ分からない。

今向き合い、どう戦うのか付き合っているのは誰でもないあなた自身なのだから。

だからこそ、気休めにしかならないけれどこれだけは忘れないで欲しい。

 

あなたは一人じゃない。

今目の前に誰かが居なくても、あなたを想う人はいると思います。

ただの、話し相手が欲しい?

それならば、私に連絡してきてください。

それが嫌なら、是非同じ境遇の仲間や先輩達の居る場所を訪ねてみて下さい。

悩んでいるのが、私だけじゃないんだと知った時にどんなに救われた気持ちになったかを私自身、今でも思い出します。

 

そして、胸に手を当てて自分の心臓の鼓動を感じて欲しい。

 

あなたは”今、生きている”。

誰も”昨日は生きられないし、明日を生きることは出来ない。”

いつでも必ず生きているのは”今”だと言うことを忘れないで欲しい。

鼓動が鳴り続く限り、生きていることを忘れないで欲しいと切に願います。

 

過去でも未来でもない今を”生きることに目を向けて欲しい。

そうして、一日一日と過ごしていくうちにそれはいつの間にか人生の道になっていることに気づくから。

そうして、「私は今生きている」。という自信にも繋がるはずだから。

 

正直、誰も10年後、20年後と確実に生きている保証なんてない。

でも、自分の身体が健康だと思っているなら無条件に何故か大丈夫だと思っている。

実際には何の根拠もないのに。

 

時折、病気を機に人生観が変わるという話を聞いたことがある。

あり得るだろうとは、思っていたけれど…

実際に、病になるとなぜそうなれたのか?の理由を知る。

 

1日1日がギフトなのだ

本当は、毎日1日1日を過ごせる事は奇跡なのだ。

だからこそ、ただなんとなく過ごす時間が勿体なくなる。

むしろ、なんとなくボーっと過ごす時間も贅沢に感じる。

だからこそ、私はボーっと過ごす時間は五感を使って、かなり満喫して「幸せだな~」と思ってしまう。

 

芸人さんで占い師をしているゲッターズ飯田さんの言葉を最後にお送りします。

 

単純な目先の幸せが後の幸せとは限らない。

現状が不幸だからと言って未来も不幸とは限らない。

今の幸せは不幸の始まりで今の不幸が幸せの始まりかもしれない。

だから単純に今が辛いから今が大変だから不運だとか不幸だとか思わない方が良い。

不運は何か勉強する時だと何か学べる時だと思えば良い。

他人のせいにして他人の妬んだり他人を馬鹿にしても何も変わらない。

まずは自分を見つめて頑張ってみる。

小さな幸運を見つけると小さな幸運や幸福は大きな幸運や大きな幸せの始まりだから

 

迷ったり、遠回りしたぶん、他の人が見ない何かを見ています。

それがその人の財産です。

ゲッターズ飯田氏より

 

 

 

あとがき≫

1日をどう過ごすのか、どんな気持ちで過ごすのかはあなたの自由だと言う事を忘れないでください。

こんなたとえ話があります。

1日の時間は84000秒なんだって。

これをお金に例えると、1日84000円も毎日自分の手元にお金がやってくることになります。

そんな時に、あなたは10円を落としてしまいました。

あなたは、どうしますか?

 

10円落としてしまった事は悲しいですが、残りの83990円全てを捨て絶望し嘆きますか?

そんなことは、しないはずです。

 

嫌な事があったことに対しては、確かにどうしようもない事実ですがそれによって全てを投げ出す必要はないんだと理解できますよね。

また、別の見方をすれば…

それを教訓にして今後はどうすればいいのか?と、考えるきっかけにもなりますよね。

 

何事も考え方次第で変わるというたとえだな!と思い、ここで紹介させて頂きました。

 

今回の記事内容は万人には当てはまらないとは思います。

その時の症状や状態によっても様々なので、その点に関しては今回は触れずに書かせて頂きました。

ただ、1つのきっかけになればと思い私なりに綴らせて頂きました。

パートナーへは主に性的な部分を。

家族へは、コミュニケーション部分を。

私へは、自分との付き合い方を。

願いを込めて。