私のせい?誰かのせい?この病気について私が思う事。

こんにちは、Mayurikiです。

今回は「私が自分の病気について思う事」を綴りたいと思います。

前回の記事はこちらから。

<結論>

結論から言えば、私がこの子宮頸がんを知り発症したことは

紛れもない事実です。

そして、それ以上でもそれ以下でもない。

<そもそも、子宮頸がんって?>

最初は、この病気の事を調べると

まず出てくるのが感染症によって発症するという事です。

(”ヒトパピローマウイルス=HPV”)

 

何百種類とあるウィルスの型がありその中でも高リスク型という

ウィルスがあるという事を知りました。

その数は何百種類とある中では十何種類のようです。

そしてこの型の中にはイボを引き起こすウィルスもあるという事を

初めて知りました。

尖圭コンジローマと言いHPV6型と11型がこれにあたる)

そしてこの感染経路には性交渉や皮膚感染などがあります。

(イボが指や足に出来たりなども皮膚感染が考えられます)

<私のせいじゃない>

そして、この時私は性交渉というキーワードにより

原因は主人にある”と勝手に決めつけていたと思います。

(そんな風に思われているのとは知らず毎日病院にお見舞いに来てくれていた主人には

感謝しかなく、申し訳なく思っています)

ですが、

”自分が病気になった

もうそれだけで余裕が無くなり、

何かのせい、誰かのせい”にしたかったんだと思います。

実際に子宮頸がんと長いお付き合いとなり少しずつその思いにも変化が生まれてきました。

(高度異形成だった頃~がん患者~がんサバイバーになっても)

<ウィルスはどこにでもいる>

ウィルスとは至る所にあり私達と共存しています。

インフルエンザも然り、です。

そして流行っているから必ずかかるわけではない事も私自身の経験で知っています。

 

通常は色々なウィルスに触れても私の体内にある免疫細胞たち

戦って体内から排出してくれています。

(くしゃみや咳など)

 

それはどんなに発がん性のリスクが高いといわれるHPV型でも、です。

 

興味深いある記事では

ある国では出生時に、日本でも5歳の子からHPV16型や18型に感染がみられたり

口腔から検出された例もあるそうです。

(この型はHPVでハイリスク型と呼ばれています)

検出したり感染したからと言って必ず進行するわけではないという事です。

<今の私の考えは、というと>

たまたま感染して

たまたまその時に体調が悪く進行してしまったのだな”と思い

今は”斜め”に構えた状態で

治療にのみ真正面から向き合っていく”スタンスでいます。

 

<主治医ですら完璧に予測できない>

今回の子宮頸がん1b1期と診断された際も主治医からは

こんなに早く進行するとは思ってもみなかったようです。

(何せ高度異形成だと思われていて円錐切除術の予定だったので

ただこれも別の考えの医師からすればちょっと違う話になりますが

またそれはまた別の機会に)

 

<今の私はここにいる>

結局はまだ早期だからそんな事が言えるんだと言われるかもしれません。

きっと、その通りだと思います。

別の立場から見れば違って見えます。

 

”今、私はここにいます”

私が言えるのはこの位置からでしか言えません。

 

自分の一部を失う事は辛く悲しいですし、

本当にこの選択が100%正しかったのかは正直確信を持てずに居るのも事実です。

(あらゆる可能性を考えて検証して実践していないので)

ですが今、

早期で治療出来た事に感謝し

1日1日を大切にし、

大切な人達と共に今一緒に生きて行けることに感謝し

これかも一緒に歩んで行きたいなと思っています。

(こんなサラッと書いてますがその当時は

本当に心底悲しみ気が狂いそうなほど打ちひしがれました)

 

<これからも…>

そして、今現在もリスクが完全に無くなったわけではありません。

まだ私とがんとのお付き合いは続きます。

(後遺症についてのリスクはまだ続きます)

<あなたへ>

きっと私のこんな意見は届かないかもしれません。

辛くて悲しいのは”今”、だからです。

 

「なんで?」

「なんで私がこんな目に?」

「原因は?」

 

と、散々私も悩み悲観し、主人に八つ当たりしていました。

(本当に申し訳なく思っています)

 

起きてしまった原因にばかり気を取られ感情的になり先が見えなくなっていました。

(でもこの時間も大切だったと今は思いますし、今はその原因にも向き合っています

 

ですが、大切なのは”今=私は、どうしていきたいのか”と理解してからは

本当に少しづつですが、前を少し見られる様になりました。

こんな風に言ってた人もいたっけ位に思って貰えれば幸いです。

 

<追記>

先日ある医学博士の書籍を読み、

少し変化がありました。

早期治療出来た事には感謝しています。

 

ですが、リンパ節まで取る必要があったのか?

 

手術をする前に出会いたかった。

これによって決断は変わらないかもしれません。

 

ですが、もっと納得して挑めただろうし、

もっと模索する時間もあったのでは?と、考えてしまいました。

 

ですが、もう悲観してる時間はありません。

 

それよりも私のこのブログを読んで下さったあなたの考えるきっかけになれるように

もう少し考えて書きたいと強く思いましたし、

私自身もこれで終わりだと終わらせずもっと探求していきたいなと思います。

 

気になる方はこちらの書籍です。