こんばんは。
Mayurikiです。
今日は昨日の続きから、「入院4日目、術後2日目」の話になります。
<術後2日目>
手術後2日目の朝も天井を見つめる事から始まりました。
今日もドレンを抜いて貰えないと絶望していましたが、
希望が生まれました。
<絶望からのまさかの…>
それは、朝の教授回診(恒例の大名行列)の際に副主治医に
やはり痛みがあり動けないという話をした際に
やっぱりドレンを今日は抜く事は出来ないという事でしたが、
主治医に話してくれたら抜いてくれる事になりました!!!
(さすが、主治医!)
<今日の朝食は>
遂に朝ごはん(重湯)を少し頂きました。
全ては食べられずでしたが1日ぶりとなりました。
昨日はまったく口にする事すら出来なかったので大きな進歩です。
(本当に弱ってる時は食欲は必要ではなく、治癒に体が全力なんだなと痛感しました)
<念願の!>
朝ごはんを頂いた後、もう一度副主治医と侍医や他の先生、看護師が来て
ドレンを抜いてくれました!
(本来だと明日の予定だったようですが、膿などがそれほど出てなく
寝たきりの私を見かねて主治医も了承して頂けたのかもしれません)
<痛みの原因>
この時に私の体には2本のドレン(管)が刺さっていました。
一本は太めの管が子宮付近(切除して縫合周辺)。
もう1本が細めの管が腹部付近です(リンパ節郭清している為だと思われます)。
特に、この子宮付近のドレンが痛くて動けない原因でした。
(多分…)
<寝たきり生活>
寝たきり生活も終了となりました。
確かに傷口は痛い(結構)ですが、
少し動いただけで起きる程の激痛はなくなりました。
(激痛というと抽象的過ぎますが、
要はお腹にずっと刺さった状態だったということですね
この経験から私は知りました。
ドラマでよく見るお腹を刺されたまま動くシーン。動けるわけがない)
<ドレンが抜けた後は‥>
ちょっと足取りはおぼつかなかったのですが起き上がる事が出来て
晴れて自分の足で血圧計の置いてある待合室まで歩く事ができました。
(最初は看護師と一緒の歩行になります)
自分の世界が天井から広がりました。
私にとってはある意味今日が術後1日目の様な物で
歩けたと行っても摂取しているのは水と点滴(しかも痛み止めの)のみなので
体はフラフラなので手すりを伝って歩くのが精一杯でした。
それでも大きな前進です。
<お昼と夕ご飯>
それからまたお昼は少しご飯を食べられました。
しかも、もう固形食(と言っても三分粥)でビックリしました。
夜ごはんは5部粥となりました。
<まだシャワーはお預け>
午後は母と看護師に体を拭いて頂きました。
(この時に初めて介護されるという気持ちを知りました)
<初めて知る主人の気持ち>
夜には主人も顔を出してくれてこの時に初めて本音を聞きました。
(手術から寝たきり状態の間、
私の状態について主人は何も口にせず
ただ傍にいて私のお願いだけを聞いてくれていました。
それが私がベッドで起き上がって笑顔が見える様になり「本当に良かった」と
疲れた顔をしながら言ってくれるのを聞いて自分の深刻だった状態を悟りました)
<今日一日を振り返って>
この日はベッドの周りを少しだけ移動する以外は一日ベッドで過ごしました。
(病室を出て血圧を測りに行く時は看護師に付き添って頂き、
ベッドの周りは家族に付き添ってもらいました)
本当に、生きている事。
又起き上がって自分の足で歩ける事に感謝。
やっと病室から覗く窓の外の景色を見られる事にしみじみと感動を覚えました。
また明日。
おやすみなさい。
<あとがき>
今日初めて病室を出た時に同じ時に手術をした方を見かけました。
(多分、この方かなと思われます。同じドレンバッグをぶら下げていたので)
その方は私とは違い元気に歩いて自分のご飯が乗ったトレーを運んでいました。
ここまで違うのか!と内心驚きました。
なので今回本当に人それぞれ違うんだなという事を痛感しました。
きっと私のこの体験記を読んで絶望してしまう方も居るっしゃるかもしれません。
ですが、私にとって何よりも不安で辛かったのは
「知らない。分かない」
という事でした。
ブログで見かける方は痛くても
私の様に寝たきりや動けないという方の記事は見つけられず、
むしろそんな事になるなんて想像せず楽観視していた部分がありました。
ですが、実際はこうなりました。
誰も答えをくれない状況の中の絶望感は本当につらいと知りました。
だからこそ、こう言った辛い事もあった人がいるんだ
という認識だけ持って頂ければ
もし満が一にもなった時に、
少なからず”自分、一人じゃないんだ”と思って頂ければと思います。
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