その痛みは、本当にがんの痛みなのか?part2

こんにちは。

今回は前回に引き続き、「その痛みは、本当にがんの痛みなのか?part2」と題して”患者自身の『自律』”についての話になります。

過去記事≪その痛みは、本当にがんの痛みなのか?≫

<前置き>

痛みの程度を表す”疼痛のスコア”というものをご存じでしょうか?

実際に私自身も、このスコアは入院して手術後からの看護師の方が行う回診の度に、質問されていました。

このスコアは、看護師や医師達に分かり易く数値化することで自分の痛みの度合を教えるものです。

(10段階表記のものや12段階表記やイラスト表記など様々)

このスコア表記は、それぞれの病院によって採用しているスコアの種類が若干異なりますが、大まかな内容は同じになります。

この疼痛のスコアについても、あとがきで触れていきたいなと思います。

 

<本題>

・「自律」とは?その重要性

「自律」とは”自らを律する”こと。

 

がん治療などで”自律”と使うならば、

『その人なりの考え方や価値観をもとに、自分で自分の行動を決めるということ』

になるかなと思います。

 

ですが、実際に”じりつ”という言葉を使う時にイメージされるのは”自立”ではないかと思います。

 

自立とはそのまま”自ら立つ”という意味です。

つまり”何でも自分でやる”とも取れます。

ですが、この自立をがん終末期の方や後遺症などによって苦しんでいる方に強要するのはどうなのかなと疑問に思います。

 

急に後遺症によって出来なくなってしまった、

がんが進行して今まで通りに動けなくなった時に人は喪失感を感じます。

その時に、今まで通りの方法や声掛けでは余計に追い込んでしまいます。

 

だからこそ、本当に必要なのは”自律”ではないか

 

それを物語る言葉を以下より抜粋させて頂きました。

がん終末期という厳しい状況下であっても、患者さん自身が落ち着いた気持ちで、その人らしく自分のことを自分で決める「自律」した生活を送るのは、亡くなる直前まで可能ですが、現実には、がん患者になったとたん、この基本が危うくなり、療養生活の質に関わる決定を患者さん本人ではなく、ケア側が、あるいは時には家族が、心配のあまり自分たちでして押し付けるケースが日常的に見られるのです。

P159より抜粋

 

この言葉、経験として実際に可能であると知れた事によってどう感じましたか。

 

もし今読んで下さっているのがケア側の方ならば、今まで”してあげよう”、”してあげなきゃ”というのはちょっと押し付けになってしまっていたのではないか?とも思えます。

 

もし、これが当事者である自分自身だった場合には、

”自分で自分のことを決めていいんだ”とちょっと先のことに対しての憂鬱が少しだけ晴れそうです。

 

自分の事を他人に決めて貰うのは一見楽に見えますが、どんな状況であっても喜ばしい状況ではない事は容易に想像できます。

そして、それに対して

こんなとき、がんの痛みはきわめて深刻なものになるのです。

 

こんな時とは、自分で決めることが出来ず他人にコントロールさている状態のことを指します。

 

そして、悲しいことに。

自律できない責任は、原則的にはむろん患者自身が負わなければならないでしょう。

 

・自分自身でコントロールするためには?

終末期のがん患者の方は、自力ではできないことが増えるので、自分のことを自分で決め自律した生活を送るには、病状への不安や日常生活で困っていることなどを本音で医師や看護師に伝え、解決していく必要があります。

 

・家族やケア側はどうすればいい?

死を実感している患者さんが本音を語るのは大変、勇気のいることですが、聞く家族はもちろんのこと、ケア側にも辛いことがあります。時には患者さんから厳しい批判の矛先を向けられることもあります。しかし私たちは、そのような本音を喜ばしいものとして、患者さんが自分で何事も判断できるよう、支援してきまた。そして、この自立支援の考え方を痛みの治療に当てはめることで、驚くほどの効果をあげました。

 

・それによって?

全員の痛みがすべて取れた、というのではありません。

痛みがあったとしても、さほど大きな問題ではなくなったのです。

 

・忘れてはいけない大前提?

自分の病状を正確に理解しいなければ、あるいは気持ちが揺らいでいては、行動の適否が判定できません。

 

自分の病が何なのか、またどんな状態なのか。

それをきちんと把握することは大切です。

確かに、知る事は凄く辛い。

ですが、曖昧にされたままや医師や家族に任せきりにすることは”自分の病と向き合うチャンスを失うこと”でもあり、引いては”自分の人生を生ききった”と思えない(悔しさが残る)ことはもっと辛いのではないかなと考えます。

 

私自身も、自分が死ぬときには”あ~生き切った!”と思えるように向き合い続けたいと改めて思いました。

 

<あとがき>

・痛みの評価は慎重に?

この痛みについても本当は様々な思いの上に自己評価されている部分があると分かります。

そして、この評価(スコア)には弊害もはらんでいると理解しなければなりません。

・例えば?

毎回診療の度に痛みの強さを数値で表現させるように迫られます。

ですが、痛みの強さとは数字で表現するのには難しく、患者自身頭を悩ませます。

それで、実際にその痛みによって適宜適切な対応を受けられれば良いですがそれは不可能に近いことだと思います。

そして、その数値を見て改めて痛みを感じるようになる、といった逆に数字自体に振り回される人も出て来てしまう。

 

それでは、便利なはずが本末転倒ですよね。

そんな側面が出来てしまうと言う事は、実際に患者になったり、もしくは冷静に振り返る事ができなければ中々気づきにくい事ですよね。

実際私の経験としても、数値として高く伝えれば「我慢せずに痛み止めを飲んで下さい」と言って頂けます。

ですが、それがどんな痛みなのかは理解して貰えませんでした。

ひどい方では「そんなに痛いんですか?」と言ってきた方もいらっしゃいました。

その時に、私は絶望して『痛み止めが効かないのは私の我慢が足りないのか』はたまた『私が悪いのか』と、心底落ち込みました。

 

ですが、私の話を注意深く真摯に聞いて頂ける方達によって原因を提示してくれる方や別の痛み止めを探してきてくれる方達が現れたことによって、すぐには症状の改善(痛みが消えた)したわけではありませんが、前を向いて自分の身体の状態(痛み)と向き合うことで付き合っていくことが出来ました。

さらに原因を知り、対処方法を自分で調べて出来る範囲で行ったことによって痛みが引いたことは自信にもなりました。

 

これがきっと”自律”なんだと身をもって実感しています。

 

是非、絶望だけで終わらせずに少し、ほんの少しでいいから自らの身体と向き合えるきっかけが出来る事を願っています。

 

<書籍>