こんにちは。
今回は、「医療の世界のちょっとした真実:part1:出産」についての話になります。
こう書くと既に怪しいのかな?と思われそうですが…
最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
色々な本を読んでいると出てくるキーワード「彼ら」。
(今回は彼らだけにしておきます。次回には別の彼らが登場します)
都市伝説的な話として捉えれば、「ふ~ん、そうなんだ」程度の酒のつまみ程度の話ですが、実際に自分が病気になった事でその世界が既に自分の近くまで忍び寄っていると思うと…
他人事じゃいられません。
日本人は世界一、他人任せの人種だってこともこれを機に改めて知りました。
こう言ったら反発する人はいるかもしれませんし、私自身「そうかな?」と思っていますが…
ですが少なからず日本独自の美学”空気を察知する”能力は、行き過ぎれば”ただの逃げ”でしかないという考え方も出来てしまいます。
と、本題へ。
今回は数冊ある中から1冊を選び、引用と私の見解を交えてお話、したい思います。
これ、知ると結構他人事じゃないぞ!って‥ビックリします。
<まえがき>
元々出産は立ってするか座ってするかが、自然だって知っていましたか?
私自身、出産は既に経験していますが、あの分娩室の空間はあまり好きになれません。
そもそも、出産は元々助産師さんが行うものでした。
昔で言う”産婆さん”。
私のイメージだと”何かあった時に不安だから、出産は産婦人科で”というイメージで助産院で産むと言う選択肢はありませんでした。
確かに、産むという行為は神秘的なイメージと共に死と、とても近い間にある行為です。
それだけ出産には危険が伴います。
私自身、これ以上「あの痛みに耐えられるか怖い」と思う事がありました。
ですが、この痛みも本来そこまで酷くならずに済むと知っていたら?
そもそもなぜ、昔の女性はあんなに出産出来たのか?
そこには、現代の西洋医学が入ってきた事で弊害がおきていたことを知ったら驚きますよね。
<お産が変わったのは男性が関わる様になってから?>
そこで書かれていた衝撃の言葉。
医者の都合が最優先されるお産の現場
女性は副作用があっても、男性のように大騒ぎせず耐え忍んでくれる人が多いので、扱いやすいと思われているのです。~中略~お産の現場では女性の人権を無視した医療がまかり通っています。
これには私自身も自身の経験からも痛感しています。
私自身、今まで経験する中で色々な産婦人科を巡った時期がありました。
理由は様々で、途中で通っていた産婦人科がお産を受付るのを辞めてしまい、通院のみになってしまった時に他の産院を探した時もあれば…
きちんとした情報を全然くれず、適当に扱われた事によるここで出産することに対して不信感を抱いてしまった事や友人の付き添いで行った産婦人科院での出来事など。
でも、その中で出会った産婦人科医や助産師で本当に真摯な方、技術がある方というのは少数だと経験から知りました。
そして、今は産婦人科院だけじゃなくて婦人科院でも…
しかも、悲しい事に同じ女性同士の女性医師なら丁寧かも?と、言われるとそうでもないのが現実です。
お産は太古から、立ってするか座ってするかでした。なぜなら重力がかかるため、あまり力まなくてすむからです。~中略~仰向けに寝てしまうと産道が上り坂になり、重力に逆らって子宮の収縮力と腹圧だけで産まなければなりません。だからあんなにイキんでも、なかなか生れないのです。
∟私自身、二人目の出産の為に訪れた産婦人科では様々な出産スタイルが出来ますと説明を頂きました。
ですが、それはあくまでも個人の自由で”こっちの方がラクな人もいます”程度の話でした。
しか~し!
この様な話を聞いて、知っていれば…話は別だったと思います。
私自身、二度の出産を経験しましたが…
一度目は丸二日間陣痛の上での自然分娩となりました。
二度目は促進剤を使っての誘発陣痛の末での短時間での自然分娩でした。
一度目の時は、陣痛が長引きすぎて睡眠が取れずヘロヘロな上に最後のいきみの時には産婦人科医のおじさん先生に「声を出すな」と怒られました。
「昨日産んだ君よりもっと若い子は、静かに産んだぞ」と。
しかも、元々立ちあい出産を希望していたのですが…まだ生まれないだろうと言われ、主人は仕事に出勤していき(1時間半位)ちょうど戻ってきた時には分娩室に入っていたので”入室拒否”されたそうで、立ち合うことは叶わずでした。
(この翌日に出産した方は、夜中に産院中に響き渡る様な叫び声をあげていましたが、怒られてませんでした。しかも私より年上…気分だったのでしょうか?)
この時に、出産中に子宮口をはさみで何も言わずにちょっきんされたのも衝撃でしたが、縫っている最中に先ほどの言葉を言われたので、急に切られた事による驚き+医師からの文句+出産の疲れで大分精神的にも肉体的にもダメージが大きかったです。
こうした経験などもあり、私自身、産婦人科に対してのイメージはあんまりよくありません。
でも、こういう話は声を大きくしてすることでもないと思っていたので話すこともありませんでしたが…今こうして、この事実を知り”やっぱり”と思ってしまいました。
<分娩台の始まりは一人の男の性的思考からって、真実?>
で、話は戻してじゃあ何で分娩台で産む様になったのか?って話ですよね。
ことの発端はヨーロッパ。
女性たちの聖域だったお産の現場に、男が介入してきたことが始まりでした。有史以前より、お産は女性同士が相互に援助して行われてきましたが16世紀にイギリスで男性の助産師が登場。彼らはもともと散髪屋だったことから、”床屋外科医”と呼ばれ、鉗子(かんし:胎児の頭をはさんで産道から引き出す金属製のトングのようなもの)を考案し、難産の外科処置に当たりました。
∟元々は難産の為に考案した道具によって、赤ちゃんとお母さんを救うために生まれた技術と人だったんですね。
でも、ここから別の方向に逸れていくことになります…
人の知恵と言うか欲が怖くなります。
17世紀には、フランス国王ルイ14世が愛妾のお産のために男性の助産師を招集。王様の命令で、産婦をテーブルの上に仰向けにして出産させたのが分娩台の始まりです。そこには、ルイ14世の性的思考があったともいわれています。
∟この文章を読んだ時、ゾッとしました。
分娩台の始まりって…何の合理性もなかったんですね。
ここで著者は
女性たちは病院で男性産科医によって管理され、医療的処置がしやすい分娩台の上でお産をするようになったのです。
∟と説明しています。
本来、お産とは母子が健やかに安全に出産するための行為です。
その為に最初は母子が辛くない態勢で出産することが当たり前で、それが自然だった。
なのに、今ではあんなに大勢の前で股を広げて行う事は生む側ではなく処置しやすいという勝手な都合によって捻じ曲げられたスタイルだった。
しかもそれによって、より過酷な出産を強いられていると知り、愕然としました。
<会陰切開は女性への虐待?>
更には、私が一度目の出産で行われたちょっきん事件(正しくは、会陰切開)も言及しています。
会陰切開が行われるようになったのも、産院でお産をするようになってからです。
~中略~産道が徐々に開いていくのを愛護的に助けるそれまでのやり方は、産婦人科医の目にはまだるっこく見えたのでしょう。デメリットを検証することなくどんどんやり始め、世界中に広まってしまいました。
ところが、会陰を切開すると、自然分娩で会陰が裂けた場合に比べ、出血がより多く、痛みがより強く、膣の永久的な変形がより顕著で、セックスも一時的、あるいは長期にわたってより困難になることがわかっています。
∟もう、嫌。
私がちょっきんされたのも文句言われたのも全て、この産婦人科医の怠慢だった。
あなたなら、どうしますか?
それでも分娩台で産みたいですか?
著者の提案として、
理想をいえば、お産の大部分は助産師にまかせ、産婦人科医は拠点となる産科病院に集中させ、リスクの高い分娩にしっかり対応する。そういう体制ができれば、妊婦さんにとっても、産婦人科にとっても、ずっとラクで安心なお産が実現するはずです。
∟としています。
こうした考えを持った医師が増えることを切に望むと共に、自分で自分のお産だけじゃなく、そうなる前に、検証して考えることも必要かもしれません。
<最後に>
今回は、出産の歴史、闇を紹介しましたがその他にも産科医院や産婦人科医の不足の問題もあります。
それによって、陣痛促進剤や帝王切開の問題や身勝手な産婦人科医によって子宮と卵巣を取られるという事件なども実際に起きています。
全ては、別々に起きているようで繋がっている。
どこかで歪みがあれば必ず、知らずの内に私自身に降りかかってくることがあります。
そうなってからでは、遅いの。
こうした問題の根底には女性に対する尊厳を軽んじる風潮があることを、否めません。
更に言えば、そんな事だったは知らずに今も行われている現場がある。
特に、日本はその傾向が強いと感じます。
さすが先進国の中でも男女差別が根強い国だと実感してしまいました。
(2019年男女平等度ランキングで日本は世界で121位です。)
今回は、この話は言及しませんが…
回りまわって、巡っていることを知って貰いたいと思い今回悲しい現実ですが紹介させて頂きました。
これをどう考え、どう思い、どう行動するかはあなた自身の問題ですが、その一人の決意によって又、誰かの気持ちを動かし波及していく。
まずは、誰でもないあなた自身があなたを守るために行動して貰いたいと切に願います。
<番外編:私の二度目の出産エピソード>
因みに、
二度目の時は、立ち合いは無事に叶い主人も珍しく目を潤ませていました。
この時もなぜか中々生まれないだろうという判断をされ後回しにされ、若干放置されていました。
(子宮口が堅い、広がっていないというのが理由の様です。
最初に誘発剤を掛ける前に産婦人科医には「今日は生まれずに帰ることになるかもしれません」と言われました)
ですが、実際には午前9時過ぎに手続きをして11時くらいから点滴を始めて夕方16時頃には、あまりにも痛みが酷かったので助産師にお願いして分娩室に移動させてもらい、そこからは産まれそうなのを何とかいきまない様に耐えて、引き延ばしてからの30分でのスピード出産となりました。
分娩台に上がると”もう限界!”
すでに、赤ちゃんが降りて来ていて子宮口を助産師さんが手で押さえて他の人を呼んでいました。
力まないようにリラックスするのに私が必死になっていると別の助産師さんが隣の分娩室から駆けつけてくれて声をかけて手を握ってくれるのですが…
逆に手に力が入ってしまい、赤ちゃんが出てきてしまう。
手で押さえている助産師さんが私の手を握る助産師に「握らないで!」と叫びます。
その後もたまたま、隣の分娩室の方が生まれそうなのに中々生まれなかった様で隣の分娩室からゾロゾロと大量の助産師が流れてきて…てんやわんや。
主人も手を握ってしまうと良くないのかと一度はそばに来てくれたのに、どうしたらいいのかと分からず…遠くから見守っていました。
なんとか、助産師さん達が赤ちゃんを受け入れる準備が出来たようで?
そのまま破水させて最後の力みをちょっと入れたら、誕生。
なので、今回の出産時に産婦人科医はいませんでした。
(診察中の為)
生まれた後にひょっこり顔を出した主治医は「あれ?生まれちゃったね☆テヘ」が見えそうな位の笑顔で言葉を掛けられました。
その後主治医には外科的処置?をしてもらいました。
この後、曲者な助産師の婦長さんによって、あまり良い思い出のない入院生活も体験して本当に出産といより病院は苦手だとつくづく実感した出産体験となりました。