こんにちは。
今日の話は簡単です。
「誰かに言われたからではなく、”自分の頭と心で考えよう”」という話になります。
昨日、たまたま「近藤誠がん研究所」のサイトを検索したら口コミが記載されていました。
そこを覗いてみると、批判的な意見が多数記載されていました。
私の中で口コミって、結構勇気のいる行為だと思っているのでそれだけ気持ちが入っているものだと思います。
(実際に皆が全員同じなのかは分かりませんが。。。)
こうした批判を見て、実際にどう思うかの判断はそれぞれに任せたいとは思いますが、気になったのは”実際に行ったことがあるのかな?”と思いました。
実際に行ってみて体験した感想ならきっと一定の説得力はあるのかなと思います。
(行ったっぽい?方もいらっしゃったので誤解の無いように記載しておきます)
私自身としては、実際には行ってないのでそれ以上の説得力はありません!
が‥
強いて言うなら、現時点ではどちらにも属さない。
行ってないんかーい!と、総ツッコミされそうですが…
実際の所は、以前不安になっていた頃は一度は行こうかと思いましたが、現時点ではそこはもう重要じゃなくなっている自分が居たりします。
意味が分からない?
きっと行く事というのは、何かの答えや確信が欲しからこそだと思います。
どうしても、もやもやする…とか、私のこの考えはどうなんだろう?など。
ですが、今時点の私にはその必要性がないと言うのが、
正直な所ではあります。
行くか、行かないかはその時に自分が必要と思えば
いつか、行こうと思います。
その時は、改めてここで記したいと思います。
きっとその時に自分にとって、もっとも欲しい言葉は「大丈夫」という言葉にはなりますが…
でも、それは私の欲しい言葉であって全員が本当に、そう思うのか?
と言われれば違うのかもしれません。
実際に行く理由は、人それぞれでいいと思いますし、その人自身が納得する為の行動の1つなんじゃないかと思います。
どんな人なんだろう?
本当だろうか?
どんなものか?
私はどうなんだろう?と‥。
大切なことは、
お金を払うのも、実際に相談するのも、決めるのは誰でもないあなた自身。
ただし、盲信するのだけはお勧めしません。
”あなたが言うのなら間違いない”とか。
結局、それではすげ替えに過ぎないから。
現在の治療ガイドラインに沿った腫瘍医とガン放置療法の近藤誠氏に。
それこそ、宗教と言われても仕方がない。
そうじゃなくて、医師の言っている現在の治療や診断に疑問を持ったとか、別の方法は無いだろうか?等と言った思いがあるからこそ、きっと”セカンドオピニオンしよう”と思ったはずです。
だからこそ、「この人の言っていることはどうだ?私の場合にはどうだろう?」という姿勢が大切なんじゃないかと思います。
肯定も否定もせず、聞くことが大切だと思っています。
これって、案外疲れる作業です。
信じちゃえば考えないで済むから本当に、楽です。
でも、自分で何かを変えたいと心が叫んだ時には、諦めず考え抜いて欲しいです。
疲れた時には一旦休んで、訳わかんなくなった時には一度紙に書き出して整理してみる。
イライラしたらとりあえず歌でも一曲歌ってスッキリしてからまた探してみる。
そうして、少しずつ修正しながら自分で見つけた出した答えは自分にとってベストだと思います。
ただし、
他の人に当てはまるかは、また別の話です。
最近、テレビドラマで口コミや風評によって店の信用を失墜させて、経営破綻をさせた上で買収しようとして殺人が起きてしまったと言うストーリーがありました。
(私、相棒の大ファンなんです)
口コミのメリットが逆に相手側を苦しめてしまう形となった話で、最近は口コミの評価だけではなく改めてその内容を精査する必要が出てきてしまいました。
”それを使う人によって変わる”
それは、今までも様々な形であったと思います。
そして、悲しいことに繁栄するものには必ず暗い歴史がつきまといます。
最新鋭の物は、軍事利用から始まったものが多いのも事実です。
豊富な資金力によって実現してきたということもあると言うことを私達は知らなくてはなりません。
だから、そこは目をつぶれって事ではありません。
そう言った事実があるこを認識した上で
”じゃあ、どうすればそうならないで済むのか?”
と、とことん考えることが必要です。
せっかく、考える力を得たんだから活用しないのは勿体ないと思いませんか?
とこんとん考え抜いてみましょう。
(クラウドファンディングとか画期的ですよね!巨大資本に邪魔されず自由な発想で開発、研究ができる。)
自分の人生”自分のためになにが出きるか?”、
”何が自分にとってベストか?、
”自分に取って何が幸せか?”を考えましょう。
誰かの物差しや価値観じゃない、自分にとってのベストを考えましょう。
最近、あるがん患者の方の記事を読んで改めて考えさせられました。
それは、親、親族などなど‥家族との付き合い方然り。
良かれと思って行う事が度を超えれば偽善になって、押しつけになってしまう。
治療の仕方やがんとの向き合い方にとっても。
その方は、自分自身の余命が長くないと知り、母親との距離を置いたそうです。
何が正しくて、何が間違っていたかは周りが決めることじゃない。
実際に、経験している本人が決めることなんですよね。
確かに、私自身も母親の立場で子供達が病気になればあらゆる事をしてでも助けたいと思います。
ですが、最終的には本人が決めること。
小さい年齢ならこちらが先導して守っていかねばと思ってしまいますが、それが出きるのもわずかな期間です。
それならば、自分が知った経験や知識を惜しみなく良いことも失敗した経験も子供達に伝え、自分で自分なりの答えを導き出す為の糧にしてもらうことが母親である私のできる事かなと思っています。
と、話が長くなってしまいましたが…。
つまり、最終的に自分の事は最初から最後まで自分で決めようです。
周りの言葉はエッセンスや参考程度にってこと。
実際問題としても、後悔が一番少ない方法もまた自分で決めた事だと思います。
そして、私自身も逆の立場を考えて主人や子供達の気持ちや意見は元気な時に話し合っておこうと思い日々、実践し模索中です。
(めんだくさがられますが、、、そこは、気にしない)
こうした議論が起こるという事は、それだけ疑問に思う方が大勢居る裏返しでもあります。
これこそ、エビデンスなのではないでしょう?
でも、こんな事証明しようも無いし、証明してくれる方はいるのでしょうか。
どちらが悪いとか、ではなく…
根っこの部分は本当は一人でも救いたいと思った純粋な心から始まったものでは無いのかな?と思います。
ですが、複雑な色々な事情が混ざり、本来の在り方が変わってきてしまっている。
本当はそれぞれの思いは一緒なはずなのに今の自分の置かれた状況でそれぞれが苦難しもがいている。
でも、そんなのはお互いに言わないし見えない。
それぞれの立場で主張して尊重し合ったり高め合ったりすることが出来ない状況になってしまっているのかもしれません。
実際に私自身も中立に物事を見れているのか?と言われたら完璧ではないです。
ロボットでもない限り不可能だと思います。
だったら、とことん思考してみようと思います。
沢山の個人的感情満載の記事となってしまい申し訳ありませんが、1つの参考意見になれたら幸いです。
私のそんな考えにドンピシャだった本があったことに驚きました。